本年の参拝案内
by myou_sanpai
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平成29年は酉歳

常寂光寺は、嵯峨野にある日蓮宗の寺です。嵐山渡月橋から奥嵯峨へ進み小倉山の中腹にあります。
秋には茅葺きの仁王門や石段上の本堂、 多宝塔など寺全体が紅葉に包まれ、京都でも有数の紅葉の名所です。春先は盆梅の花が飾られ、夏には蓮の花が…輝く美しい四季を楽しめるお寺です

本堂は桃山城の客殿を移築したもので、江戸時代初期の創建で昨年は5年の月日をかけて修復を施し古き建築方式を残しながら傷んだ木材を新しい材に替えて落慶をしました。。茅葺きの仁王門は、日蓮宗本山の本圀寺から客殿の南門を移築したものです。山腹にある多宝塔は重要文化財で江戸時代初期、京都の町衆の寄進によって建てられました。

ほかにも藤原定家らの像を安置する歌仙祠や総門の近くから移築したと伝えられる時雨亭跡などがあります。時雨亭は、定家が『小倉百人一首』を選んだ山荘です。(諸説あり)

小倉山 峰のもみぢば 心あらば 今ひとたびの みゆきまたなむ(藤原忠平/『拾遺和歌集』)

「小倉山の峰の紅葉よ、お前に心があるなら、天皇がもう一度いらっしゃるまで散らずに待って
いてくれまいか」と歌い、天皇に「ぜひ紅葉を見にいらしてください」と薦めています。平安の昔より、この地の紅葉は際立っていたようです。

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# by myou_sanpai | 2017-02-04 00:00 | 常寂光寺
島原の妙見さん
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 当山は、寛政5年(1464)に大本山本圀寺第10世成就院日圓上人が天台宗の中堂寺を改宗し、法喜山吉祥寺と号し自ら開山となります。
第2世の善法院日安上人は日圓上人の後を受け堂宇を完成しますが、第4世妙心院日完上人の時、京都洛中洛外の日蓮宗寺院21本山がことごとく焼き払われた天文法難により当山焼失し、さらに日完上人も討死しました。
しかし、正保年間(1644~1648)に至り第5世吉祥院日喜上人が堂宇の再建を果たして、寺号を現在の法喜山慈雲寺を改称しました。これより、当山では日喜上人を中興開基としています。
第18世是心院日操上人の時には、天明8年(1788)1月30日、京都史上最大規模の火災である天明大火に見舞われ堂宇が又もや焼失しますが、同年冬、仮堂を建て復興しました。
その後、天保2年(1831)日蓮聖人の第550遠忌に、第24世珠妙院日選上人によって、現在の本堂、妙見堂、山門の再建を果たし現在に至ります。
また、妙見大菩薩は洛陽十二支妙見の一つ、西南西『申』の方位の妙見様です。
現存する江戸の記録には『島原妙見宮』と記され、日蓮宗唯一の門跡寺院である村雲瑞龍寺の寺門繁栄を当山格護の島原妙見大菩薩によって祈願されました。
他に、文政年間(1818~1829)には洛陽28ヶ所妙見6番目の霊場、また天保年間(1830~1843)には妙見宮21ヶ所巡拝記第5番目の霊場としても世に知られていました。人々から『島原の妙見さん』として親しまれ篤い信仰を得て、現在も洛陽十二支妙見めぐりなどで全国から参拝者の方が来られます。

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# by myou_sanpai | 2016-01-17 19:30 | 慈雲寺
未の方の妙見さん
 当山は、旧洛南八条東寺(教王護国寺)の北門前に在りましたが、旧国鉄新幹線敷設により下京区西新屋敷(島原)の地に移転する。
 嵯峨天皇時の弘仁十四年(823)東寺塔頭法華堂として創建されました。時は下り仁治三年(1242)日蓮聖人御年21才、八宗研学の為、鎌倉を発って根本道場比叡山に登り天台宗を学び、間もなく円頓房の主となり24才にして、横川定光院の住持となり叡山四天王の一人とうたわれていました。園城寺、南都七大寺、高野山、攝津、天王寺、京洛泉涌寺等六宗の奥義を学び、建長三年(1251)御年30才の時、八条法華堂の別当で東寺の学匠である真広法印に師事して1年余の間、寝食を共にし東寺密教の秘要を学ぶ。
 建長五年(1253)宗祖比叡山を発って清澄に還り同年4月28日末法救護を誓い立教開宗を宣言される。これを以って顧るに当山は京都、関西に於ける宗祖が止住された数少ない霊地である。
 境内の井戸は宗祖が御手堀しものを再現したもので、硯水として御使用され御閼伽と称されていた。又、本堂内に安置する宗祖の立像は「わらじぬぎの祖師」として後世に伝へられている。
 真広法印は宗祖を一見してその凡ならざるを知り別離の後三十余年の間忘すれることなく、弘安四年(1281)の春、老躬にムチ打ち身延山に宗祖を尋ね法華の奥義を極めて宗祖の直弟子となり、成就山法華寺の呼称と弟子曼荼羅(後の若宮本尊或は竹筒の本尊と称するもの)を授り帰京、更衣して宗祖を開山に仰ぎ自らを二祖とし信心堅固にして「我覚天を突く御身なれば法華経宣揚に尽す事もとより不惜身命なり」。
 その後日像菩薩京都弘通の際には、当山を宗祖の遺跡として偲ばれるていた。日像菩薩迫害されしとき真広法印も又東寺僧俗の怒りをかつて堂宇を焼討され竹筒曼荼羅を奉持して若宮新宮に安居を求められるところとなる
 受戒の後、読経実に一千六百廿余部延慶四年(1311)五月二日寂す。
三祖は浄広法印、四祖は一条関白経継公成園寺殿の姫妙定法尼、法尼は精舎を結んで法華院と称し、その後律師が相継ぎ法燈を継承する正保年間に至って天文法乱後再度閉きれたる当山も、十一世善龍院日念上人が宗祖の霊跡なりと思慕の情を以って当地に小精舎を復現して法華堂となす深草の元政上人が宗祖霊地巡錫の折「東寺の門前に古梵宮あり…」(真筆現存)の詩を残してこの事を後世に記す
当山に妙見大菩薩の尊像を安置されるは洛陽十二支妙見の中「未の方」の妙見宮なり、明治初年に至る迄京阪神の信者多く渇仰されたるところの霊像であった。
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# by myou_sanpai | 2015-02-24 21:13 | 法華寺
伏見大手筋の妙見さん
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本教寺は、山号を福昌山(ふくしょざん)といい、文禄三年(1594)、日新上人の法孫・教行院の日受上人により創建されました。
日受上人は当初は西浜堺町(伏見区)に小庵を創建したのですが、徳川家康の第二女・良正院督姫の篤い帰依を受けて、慶長十九年(1614)に、督姫が十六才で姫路城主・池田輝政の令室として嫁ぐことになった際に、その館と敷地を寄進されて現在地に移転しました。
督姫は幼少時より、当時伏見城にいた太閤豊臣秀吉に寵愛され、池田家との媒酌も秀吉が自身買って出たとも伝えられます。当時秀吉から督姫が賜ったという伏見城の牡丹は、現在も境内で花を咲かせていることから、本教寺は、豊公遺愛 督姫手植えの牡丹のある寺、「慶長牡丹の寺」として親しまれています。(毎年4月中旬頃に開花)
本堂は、約二百七十年前の建築で、享保年中(1716)、近衛関白家の寄進により「堀川御殿」が移築されたもので、千鳥破風に加え唐風の庇を持った豪壮華麗な建築美を見せています。本堂に祀られる本尊は、妙法蓮華経宝塔1塔、多宝・釈迦 如来、上行・浄行・無辺行・安立行の4菩薩、日蓮大聖人像、持国天・毘沙門天・広目天・増長天の四天王の木造十二体によって構成されています。これらは作者不明ですがいずれも文禄年間の作名があります。
また左側の須弥檀には、大覚大僧正、日親聖人、加藤清正の木像三体、右側には良正院督姫の自画像、鬼子母神像、十羅刹女像が祀られています。
境内には、大きな妙見宮があり、池田家伝来の北辰妙見本尊が祀られています。
建物は元禄年間(1690頃)の建築で「開運処」と呼ばれています。堂内には中央に、北辰妙見大菩薩、左に七面天女と大黒天、右側に鬼子母神が祀られています。
この妙見大菩薩は、日蓮聖人の直弟子で加持祈祷の名手といわれた日法上人直伝のものが、その後池田家に伝わり、池田輝政と良正院督姫の遺言により、本教寺境内に池田家祈願所として祀られたものということで、開運除厄の「大手筋の妙見さま」として「十二支妙見めぐり」の「午(南)」の寺として信仰を集めています。


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# by myou_sanpai | 2014-02-19 15:17 | 本教寺
鎮宅妙見宮 日體寺
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創建当初は、浄土宗観音寺と称したが、享保6年(1721)年に時の住職常照院日体が改宗し、富士門流に属し、現在の山号常照山を公称した。明治初年に至り日蓮宗に改め本圀寺の2等客末となる。

ホームページ:http://www.nittaiji.com/

 
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# by myou_sanpai | 2013-01-20 09:40 | 日體寺