本年の参拝案内
by myou_sanpai
鎮宅妙見宮 日體寺
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創建当初は、浄土宗観音寺と称したが、享保6年(1721)年に時の住職常照院日体が改宗し、富士門流に属し、現在の山号常照山を公称した。明治初年に至り日蓮宗に改め本圀寺の2等客末となる。

ホームページ:http://www.nittaiji.com/

 
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# by myou_sanpai | 2013-01-20 09:40 | 日體寺
満願寺
満願寺は、示現山と号する日蓮宗の寺院で、もともとは西ノ京にあって、 天慶三年(940)に北野朝日寺の最珍を開さんとして創建されたと伝える。
当時は真言宗に属し、北野天満宮の御供所であった北野七保のなかの五の保社ともなっていた。その後、元禄十年(1697)に日蓮宗へ改宗するとともに、元禄十五年に現在地へ移転してきた。
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本堂は、移転後まもなく元禄十五年から宝永元年(1704)にかけて造営されたもので、京都市内に残る日蓮宗の一般寺院本堂のなかでは古い方に属する。建築的には、桁行三間・梁行一間の身舎(もや)の四周に一間幅の裳階をまわして背面に内陣部を突出し、さらにその後方に土蔵造の奥尽を付設した複合建築で、変化に富んだ外観をみせている。また、その内部の地からずよい空間構成には近世的特色がみられ、日蓮宗本堂の近世遺構の一例として貴重である。
 境内にはこの他、当時が現在地へ移転してきたときのものとして鐘楼手水舎、表門、文子天満宮本殿・拝殿などが残っており、位置が一部変更しているものの、江戸時代中期における日蓮宗の一般寺院の寺観を良く伝えている。
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# by myou_sanpai | 2012-03-05 22:55 | 満願寺
東日本大震災
このたびの東日本大地震の被災を受けられました皆様に謹んでお見舞いを申し上げます。

余震が続く中、不安な日々を送られている方々には、何もできず心苦しく言葉もありません。

今はただ一日も早く安穏な生活が訪れますこと心よりお祈り申し上げます。

                                 合掌
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# by myou_sanpai | 2011-03-16 07:00
霊鑑寺 草創
初代開山 月江宗澄は、後水尾天皇皇女である。承応三年(1654)得度し後水尾院より「円成山霊鑑寺」の号を勅許され、現在の霊鑑寺の境内地の南隣の敷地に創建された。
そこは、東山の如意ヶ嶽より流れ出る桜谷川が作り出す渓谷を「鹿ヶ谷」と称され、それゆえ霊鑑寺を「谷の御所」とも呼ばれるようになった。f0207713_8145938.jpg
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# by myou_sanpai | 2011-02-22 08:15 | 霊鑑寺
道入寺 沿革
日蓮宗道入寺は、比叡山への登山道、修学院離宮のすぐ近くにあります。
 この寺は、正保三年(一六四六)に尊眼院日長上人によって聞かれました。日長上人は霊験顕著な大行者で、生まれは摂州(現在の大阪府)です。両親は熱心な法華経の信者で、成長に随って強い信仰がめばえ、十七才のとき発願して仏門に入り、二十二才の秋、夢中に日像菩薩(日蓮聖人の法孫)を拝み、「南無妙法蓮華経」の七字のお題目を筆に著わされました。日長上人はこの事を歓こび、日夜修行に精進され、満百日、四条河原に石を拾い法華経を書写され、やがて都の艮に当る修学院村雲母坂の奥、愛宕谷の滝つぼに入り、石上に座られ断食二十一日、ついに悟りを開かれ、勇猛堅固の行者となられました。
 その頃、旱魃に苦しむ民・百姓の依頼で、雨乞いの祈祷をされ、慈雨を降らす等、祈祷修法による信者が多く、熱心な信者の本願もあって、現地を日長上人、居住苦行の霊地とし、ここに道入寺が建立されました。
 以来、開山日長上人の意を継承し、法華経信仰の祈祷道場として今日に至っています。
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# by myou_sanpai | 2010-04-10 18:01 | 道入寺