本年の参拝案内
by myou_sanpai
タグ:洛陽十二支妙見 ( 10 ) タグの人気記事
H30年は戌の妙見宮 鳴滝三寳寺
当山は寛永5年(1628年)右大臣菊亭(今出川)経季卿と中納言今城(冷泉)為尚が後水尾天皇の御内旨を受け中正院日護上人を御開山に迎え建立された日蓮宗 中本山で、「金映山妙護国院三寳寺」の号は後水尾天皇より賜ったと伝えられています。
爾来、大いに栄え塔頭寺院は十二ヶ寺を数え、開山日護上人、二祖日英上人、三祖日逞上人の学徳を慕って笈を負い来る者、また文人雅客の杖をひく者数多くありました。 特に茶道宗徧流の流祖山田宗徧(1627~1708)は若年の時、東谷の塔頭「凉池院」に住し茶室「四方庵」にて茶道に専念しついにその奥義を究めました。後年彼は江戸に入り赤穂義士の大高源吾に吉良邸の茶会の日を教え討ち入りを助けたことで有名です。
現在その「四方庵」旧跡には十世山田宗徧家元によって記念碑が建てられています。幕末維新の変動と堂上貴紳の東上等により一時衰微荒廃をみましたが、昭和天皇の即位式の建物を下賜せられ本堂とし、また妙見堂改築、大黒堂再建をはたし寺観を整え現在に至っています。




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by myou_sanpai | 2018-02-01 01:00 | 三寳寺
平成29年は酉歳

常寂光寺は、嵯峨野にある日蓮宗の寺です。嵐山渡月橋から奥嵯峨へ進み小倉山の中腹にあります。
秋には茅葺きの仁王門や石段上の本堂、 多宝塔など寺全体が紅葉に包まれ、京都でも有数の紅葉の名所です。春先は盆梅の花が飾られ、夏には蓮の花が…輝く美しい四季を楽しめるお寺です

本堂は桃山城の客殿を移築したもので、江戸時代初期の創建で昨年は5年の月日をかけて修復を施し古き建築方式を残しながら傷んだ木材を新しい材に替えて落慶をしました。。茅葺きの仁王門は、日蓮宗本山の本圀寺から客殿の南門を移築したものです。山腹にある多宝塔は重要文化財で江戸時代初期、京都の町衆の寄進によって建てられました。

ほかにも藤原定家らの像を安置する歌仙祠や総門の近くから移築したと伝えられる時雨亭跡などがあります。時雨亭は、定家が『小倉百人一首』を選んだ山荘です。(諸説あり)

小倉山 峰のもみぢば 心あらば 今ひとたびの みゆきまたなむ(藤原忠平/『拾遺和歌集』)

「小倉山の峰の紅葉よ、お前に心があるなら、天皇がもう一度いらっしゃるまで散らずに待って
いてくれまいか」と歌い、天皇に「ぜひ紅葉を見にいらしてください」と薦めています。平安の昔より、この地の紅葉は際立っていたようです。

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by myou_sanpai | 2017-02-04 00:00 | 常寂光寺
島原の妙見さん
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 当山は、寛政5年(1464)に大本山本圀寺第10世成就院日圓上人が天台宗の中堂寺を改宗し、法喜山吉祥寺と号し自ら開山となります。
第2世の善法院日安上人は日圓上人の後を受け堂宇を完成しますが、第4世妙心院日完上人の時、京都洛中洛外の日蓮宗寺院21本山がことごとく焼き払われた天文法難により当山焼失し、さらに日完上人も討死しました。
しかし、正保年間(1644~1648)に至り第5世吉祥院日喜上人が堂宇の再建を果たして、寺号を現在の法喜山慈雲寺を改称しました。これより、当山では日喜上人を中興開基としています。
第18世是心院日操上人の時には、天明8年(1788)1月30日、京都史上最大規模の火災である天明大火に見舞われ堂宇が又もや焼失しますが、同年冬、仮堂を建て復興しました。
その後、天保2年(1831)日蓮聖人の第550遠忌に、第24世珠妙院日選上人によって、現在の本堂、妙見堂、山門の再建を果たし現在に至ります。
また、妙見大菩薩は洛陽十二支妙見の一つ、西南西『申』の方位の妙見様です。
現存する江戸の記録には『島原妙見宮』と記され、日蓮宗唯一の門跡寺院である村雲瑞龍寺の寺門繁栄を当山格護の島原妙見大菩薩によって祈願されました。
他に、文政年間(1818~1829)には洛陽28ヶ所妙見6番目の霊場、また天保年間(1830~1843)には妙見宮21ヶ所巡拝記第5番目の霊場としても世に知られていました。人々から『島原の妙見さん』として親しまれ篤い信仰を得て、現在も洛陽十二支妙見めぐりなどで全国から参拝者の方が来られます。

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by myou_sanpai | 2016-01-17 19:30 | 慈雲寺
伏見大手筋の妙見さん
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本教寺は、山号を福昌山(ふくしょざん)といい、文禄三年(1594)、日新上人の法孫・教行院の日受上人により創建されました。
日受上人は当初は西浜堺町(伏見区)に小庵を創建したのですが、徳川家康の第二女・良正院督姫の篤い帰依を受けて、慶長十九年(1614)に、督姫が十六才で姫路城主・池田輝政の令室として嫁ぐことになった際に、その館と敷地を寄進されて現在地に移転しました。
督姫は幼少時より、当時伏見城にいた太閤豊臣秀吉に寵愛され、池田家との媒酌も秀吉が自身買って出たとも伝えられます。当時秀吉から督姫が賜ったという伏見城の牡丹は、現在も境内で花を咲かせていることから、本教寺は、豊公遺愛 督姫手植えの牡丹のある寺、「慶長牡丹の寺」として親しまれています。(毎年4月中旬頃に開花)
本堂は、約二百七十年前の建築で、享保年中(1716)、近衛関白家の寄進により「堀川御殿」が移築されたもので、千鳥破風に加え唐風の庇を持った豪壮華麗な建築美を見せています。本堂に祀られる本尊は、妙法蓮華経宝塔1塔、多宝・釈迦 如来、上行・浄行・無辺行・安立行の4菩薩、日蓮大聖人像、持国天・毘沙門天・広目天・増長天の四天王の木造十二体によって構成されています。これらは作者不明ですがいずれも文禄年間の作名があります。
また左側の須弥檀には、大覚大僧正、日親聖人、加藤清正の木像三体、右側には良正院督姫の自画像、鬼子母神像、十羅刹女像が祀られています。
境内には、大きな妙見宮があり、池田家伝来の北辰妙見本尊が祀られています。
建物は元禄年間(1690頃)の建築で「開運処」と呼ばれています。堂内には中央に、北辰妙見大菩薩、左に七面天女と大黒天、右側に鬼子母神が祀られています。
この妙見大菩薩は、日蓮聖人の直弟子で加持祈祷の名手といわれた日法上人直伝のものが、その後池田家に伝わり、池田輝政と良正院督姫の遺言により、本教寺境内に池田家祈願所として祀られたものということで、開運除厄の「大手筋の妙見さま」として「十二支妙見めぐり」の「午(南)」の寺として信仰を集めています。


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by myou_sanpai | 2014-02-19 15:17 | 本教寺
鎮宅妙見宮 日體寺
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創建当初は、浄土宗観音寺と称したが、享保6年(1721)年に時の住職常照院日体が改宗し、富士門流に属し、現在の山号常照山を公称した。明治初年に至り日蓮宗に改め本圀寺の2等客末となる。

ホームページ:http://www.nittaiji.com/

 
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by myou_sanpai | 2013-01-20 09:40 | 日體寺
満願寺
満願寺は、示現山と号する日蓮宗の寺院で、もともとは西ノ京にあって、 天慶三年(940)に北野朝日寺の最珍を開さんとして創建されたと伝える。
当時は真言宗に属し、北野天満宮の御供所であった北野七保のなかの五の保社ともなっていた。その後、元禄十年(1697)に日蓮宗へ改宗するとともに、元禄十五年に現在地へ移転してきた。
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本堂は、移転後まもなく元禄十五年から宝永元年(1704)にかけて造営されたもので、京都市内に残る日蓮宗の一般寺院本堂のなかでは古い方に属する。建築的には、桁行三間・梁行一間の身舎(もや)の四周に一間幅の裳階をまわして背面に内陣部を突出し、さらにその後方に土蔵造の奥尽を付設した複合建築で、変化に富んだ外観をみせている。また、その内部の地からずよい空間構成には近世的特色がみられ、日蓮宗本堂の近世遺構の一例として貴重である。
 境内にはこの他、当時が現在地へ移転してきたときのものとして鐘楼手水舎、表門、文子天満宮本殿・拝殿などが残っており、位置が一部変更しているものの、江戸時代中期における日蓮宗の一般寺院の寺観を良く伝えている。
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by myou_sanpai | 2012-03-05 22:55 | 満願寺
東日本大震災
このたびの東日本大地震の被災を受けられました皆様に謹んでお見舞いを申し上げます。

余震が続く中、不安な日々を送られている方々には、何もできず心苦しく言葉もありません。

今はただ一日も早く安穏な生活が訪れますこと心よりお祈り申し上げます。

                                 合掌
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by myou_sanpai | 2011-03-16 07:00
霊鑑寺 草創
初代開山 月江宗澄は、後水尾天皇皇女である。承応三年(1654)得度し後水尾院より「円成山霊鑑寺」の号を勅許され、現在の霊鑑寺の境内地の南隣の敷地に創建された。
そこは、東山の如意ヶ嶽より流れ出る桜谷川が作り出す渓谷を「鹿ヶ谷」と称され、それゆえ霊鑑寺を「谷の御所」とも呼ばれるようになった。f0207713_8145938.jpg
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by myou_sanpai | 2011-02-22 08:15 | 霊鑑寺
庚寅 修学院 道入寺
今年は、寅年 十二支妙見復興24年目

つまり、二回り目の最後の歳だと思います。

時の経つのも早いものです。

今年の、お寺は修学院にある道入寺です。

場所は、少し街中からはずれた感じのお寺ですが、建物は比較的新しい。

山門をくぐり玄関には、寅の信楽焼が、皆さんの参拝を待っているようです。
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by myou_sanpai | 2010-01-07 23:42 | 道入寺
本山 本満寺 縁起
 当山は人皇第百一代後小松天皇の御宇、応永十七年(一四一〇)の創立。
開山の玉洞妙院日秀上人は、近衛関白左大臣道嗣の嫡子で、朝廷より敷地三万坪を与えられて、広宣流布山本願満足寺と号し、近衛殿内道場と称して栄えたのである。室町幕府から安土桃山に移った頃、天文の法乱で当山も全焼、天亀三年(一五七二)に晋董される。後奈良天皇(一五三九)の勅願所となって大いに栄えたのである。慶長七年(一六〇二)に当山第十三世日乾上人は朝廷より紫方袍を賜わり、豪族能勢氏の帰依を得て、能勢の妙見寺を開いたのである。
f0207713_9114021.jpg 当山の妙見堂はその由緒に基くもので、能勢同体の妙見大菩薩が安置され、その本願祈願祈祷の強さが広く渡り、現在もその祈願者がたえず、毎月一日がその日に定められている。宝暦元年(一七五一)当山の日鳳上人が、八代将軍徳川吉宗の病癒祈願の祈祷をしてその健康を回復、以後、徳川家累代の祈願所となりまた栄えたのである。その奉安の祖師像は、芹生村山麓より発掘されたものであり、その土中より法華経読誦の声が上ったという有名な説がある。当山の第十四世日遠上人が祖山に瑞世された当時、慶長法難は有名な話しであるが、上人が、七面山にて一千日の行を修して感得されたという七面大明神は当山の七面堂に安置され、当山第五十九世日政上人による本願祈祷は現在も語られ、今日では毎月十九日がその祈願日と定められている。寺宝重要文化財、紺紙金泥「法華経」「観普賢経」はあまりにも有名であるが、狩野元信筆の祖師像、後水尾天皇の宸筆の和歌、宗祖の墨蹟、竜ノロ消息、近衛信尹郷の筆跡、徳川家拝領の御軸、屏風、蒔絵、硯箱、文台、重箱等数えきれない宝物が保蔵されている。
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by myou_sanpai | 2009-04-21 23:04 | 本満寺